紫陽花観音

由緒
曽我兄弟の死を悲しんだ大磯の虎女が信州善光寺参拝の旅の途中、この地に立ち寄り、曾我兄弟の菩提を弔い、寺名を「長學寺」と改めたと伝えられています。その虎女は、ことのほか紫陽花を好み、長學寺の境内に多くの紫陽花を植え育てたと言われています。その数、数万本、数十万本とも・・・。

梅雨になると色とりどりに変化する紫陽花が全山を包み、土地の人々は長學寺を「上州の紫陽花寺」と呼んで、その美しさを讃えたのでした。  また紫陽花寺の基をつくった虎女のことを、人々は「紫陽花観音」と呼び親しみ、花開く季節になると、参道は花見客であふれかえったとも言われています。

その久しく忘れられていた「紫陽花寺」が復活しました。現住職生沼宏元師と、檀信徒「あじさい会」みなさんの発願によって「紫陽花観音堂」の建立と「紫陽花観音」の新造立奉安が実現したのです。

五月から六月、長學寺の境内は万華鏡のように美しく変化する紫陽花が咲きほこり、極楽浄土さながらの景色となって皆さんをお迎えします。


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